
数多くのヒット曲をリリースさせた歌手の大橋純子(おおはしじゅんこ)さん。
日本人離れした歌声を持ち合わせた人物として知られています。
今回はそんな大橋純子さんのwiki経歴や夫・子供などの家族構成、食堂と言われる実家の場所がどこなのかについてまとめてみました。
こんな人におすすめ
- 大橋純子の夫・子供などの家族構成やwiki経歴が知りたい
- 大橋純子の食堂と言われる実家の場所がどこか気になる
大橋純子のwiki経歴プロフィール

大橋純子のプロフィール
名前:大橋 純子(おおはし じゅんこ)
生年月日:1950年4月26日
年齢:73歳没
出身地:北海道夕張市
血液型:A型
大橋純子さんは北海道夕張市に末っ子として生まれ、幼少期から洋楽に触れる環境で育ってきたそうです。
地元の軽音バンドから徐々に音楽キャリアを積んでいった大橋純子さんですが、一体どのような経歴を持った人物なのでしょうか。
大橋純子の経歴

ここでは大橋純子さんの経歴について見ていきましょう。
大橋純子さんは北海道夕張市にて軽音クラブバンドやHBCラジオのパーソナリティなどの経験を積み、1974年に上京。
上京するや否や日本人離れした歌声が評価され、1stアルバム『フィーリングナウ』でメジャー・デビューを果たしました。
その後「ペイパー・ムーン」などのヒット曲を出し、ドラマ主題歌などを担当するようにもなります。
そして1978年には『第20回日本レコード大賞』にて金賞を獲得し、その翌年の1979年の大晦日には『第30回NHK紅白歌合戦』に初出場を達成させました。
1992年には「愛は時を越えて」で20万枚のヒットを記録し、2000年代に入ってもコンサートやアルバムをリリースさせていきました。
そんな中、2018年には食道がんが発見され治療を終えましたが、2023年に食道がんが再発。
そして2023年11月9日に帰らぬ人となりました。
大橋純子の学歴

ここでは大橋純子さんの学歴について見ていきましょう。
結論としては、大橋純子さんは短期大学を卒業しているとのことです。
大橋純子さんは「北海道夕張北高等学校」を卒業し、その後は「藤女子短期大学」を卒業したということになります。
「北海道夕張北高等学校」は鹿の谷山手町に位置していた道立高校であったわけですが、1994年に閉校してしまいました。
さらに音楽活動を始めた頃に通っていた「藤女子短期大学」に関しても、2000年に「藤女子大学」に統合されるという形で廃止されたとのことです。
よって、大橋純子さんが通っていた高校や大学は現在は無くなってしまっています。
次に大橋純子さんの夫や子供などの家族構成などについて見ていきたいと思います。
大橋純子の夫や子供など家族構成は?

大橋純子さんの夫や子供などの家族構成は一体どのようなものだったのでしょうか。
結論として、大橋純子さんは佐藤健さんという作曲家の方と結婚していることがわかっています。
どうやら、佐藤健さんとは大橋純子さんがヤマハで働いていた時に出会い、1979年に結婚したとのことです。
しかし、佐藤健さんという夫がいることがわかっていますが、子供がいるといった情報は現状ありません。
長年、子供や息子に関する情報が出ていないということを考えると、子供はいなかったのではないかと考えられます。
夫婦2人で仲良く暮らしていたのではないでしょうか。
そんな大橋純子さんですが、実家は食道であったとの情報もあるようです。
大橋純子の実家は食堂で場所はどこ?

ここでは大橋純子さんの実家である食道について見ていきましょう。
どうやら、大橋純子さんの実家は北海道夕張市で大衆食道「天金」を営んでおり、主に炭鉱労働者たちに愛されていた食道であったそうです。
SNS上には当時「天金」に通ったことがあると思われる人物の投稿が一部見つかりました。
「天金」は天ぷらが名物であるようですが、チャーハンなどの料理も人気であったとのこと。
食堂はかなり繁盛していたようで、そんな中で大橋純子さんは歌などを披露して店内を賑わせていたそうです。
そんな「天金」ですが、北海道夕張市本町にあったそうですが、現在は店を閉じているようです。
もう「天金」の料理を味わうことができませんが、とても美味しく地元から愛される食道だったのではないでしょうか。